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震災とコロナ、二度の災禍も「夢はあきらめない」 気仙沼の老舗菓子店の戦い方

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震災とコロナ、二度の災禍も「夢はあきらめない」
気仙沼の老舗菓子店の戦い方
東日本大震災で店は壊滅し、コロナで客が激減。創業130年、明治時代から続く宮城県気仙沼市のコヤマ菓子店。津波で流された店舗は8年越しに再建するも、その矢先にコロナが襲来しました。このピンチを今度はどう打開しようとしているのか。店主の小山裕隆さんにお話をうかがいました。

活用した支援制度

  • 雇用調整助成金

フォロワー倍増の理由は?「思い」届けるマーケティング


ーー東北は感染者が比較的少ないですが、営業状況はどうでしょう?

緊急事態宣言が出された4月にガクッとお客様が減って、駅などの卸関係もすべてストップしました。隣町の岩手県陸前高田市と、地域の名産になるような菓子を共同開発する話もあったんですが、それもいったん頓挫です。4月の売上は前月に比べて約6割減りました。これは相当厳しい数字です。

実は、昨年11月に念願の新店を再建・オープンしたばかりだったんです。いよいよこれからというときに、まさかの事態でした。


(昨年11月にオープンした新しいコヤマ菓子店)

ーー新店をオープンしたばかりだったんですか。

2011年3月に起きた東日本大震災。あのときの津波で店が流されてしまい、市内の別の場所でテナントを借りて営業を続けてきました。

それから8年、ようやく元の場所に移転・オープンしたのが今の店です。お客様がどんどん増えてきたところに、コロナ危機がやってきました。

それでも休まず細々と営業してきましたが、新しく2階につくったカフェは一時期、テイクアウトのみに切り替えたり、5月のゴールデンウィークは予約販売だけにしたり、売上ダウンは避けられない状況でしたね。


(山荘をイメージして設計した2階のカフェ)

ーー反転攻勢に向けた対策は。

スタッフ7人、どこにでもあるような小さな菓子店です。それでも雇用維持を最優先にしながら、どうやって店の売上を回復し、お客様に喜んでいただけるサービスを提供できるか。

お金をかけなくても、やれることはたくさんあります。例えば、情報発信です。

もともとフェイスブックやツイッター、インスタグラムのアカウントは持ってたんですが、あまりうまく活用できていませんでした。それを使いながら、お客様に安心してご来店いただけるようにしようと。

心がけたのは、情報の出し方です。どの店も安全対策はちゃんとやっているはずですが、単に「しっかり安全対策してるので、安心してご来店ください」と機械的に伝えるのではなく、受け手の心に響くような伝え方を意識しました。

ーーどういうことでしょうか?

ちょっとした「思い」を乗せるんです。そうすると文章に温度感が生まれるというか、それによって僕らの思いがしっかり伝わりやすくなると思うんです。

例えば、「お菓子屋は不要不急ではないだろうけど、疲れた心と体に、癒しと活力を与えられる力がある。スイーツでひと息入れると気分も和らぎます。やさしい気持ちになって元気が出ますよ」といった感じで。

些細なことですが、そうやってそっと「思い」を乗せるだけで、印象は随分変わるはずです。

日頃からそういう情報発信は意識的にやっていました。SNSだけでなく、毎月発行している「うみねこ新聞」、Webの「ウミネコまがじん」、毎日欠かさず更新している個人ブログ。いろんなツールを使って、商品の開発ストーリーや僕個人の思いなどを発信してきたんです。


(「うみねこ新聞」では毎月異なるゲストのコラムや俳句を載せるなど、ユニークな紙面をつくっている)

ーー日頃からの情報発信が役立ったわけですね。

そうやってコツコツ取り組んでいると、メディアからも目をつけてもらいやすくなるんですよ。

今回も、コロナ対策をテーマに地元のテレビやラジオなどで何度も紹介してもらいました。これが援護射撃になって、お客様により安心感を与えられる効果もあったと思います。

成果が数字として如実に出ているのは、インスタグラムのフォロワー数です。コロナ前、500人に満たなかったフォロワーが一気に1000人超まで急増しました。こんな急激は変化は今まで経験したことがありません。

ーーフォロワーが倍増したんですか!

情報を地道に上げてきたこともそうですが、それ以外にも要因があります。すべての商品の包装に、インスタグラムなどのQRコードを印刷したんです。商品を購入したお客様が、そのQRコードから新たにフォローしてくれるケースも少なくなかったはずです。

単にお菓子を売るだけでなく、常に何らかのプラスαの情報にリンクさせる。そういう小さなアクションの積み重ねが効いているのかなと思います。

15年後の「夢」に向かって。EC強化へシフト


ーーインスタグラムのライブ中継にも挑戦したそうですね。

「インスタライブできない?」。4月に入社したばかりの新入社員に聞いたら、「できますよ」と二つ返事で引き受けてくれて。スマホの操作が異常に早かったのを見て、試しに頼んでみたんです。

ライブでは店の状況を伝えたり、視聴者限定の特典を用意したり。これが多いときには50人くらい視聴してくれて。

ちょっとした思いつきで始めたことです。僕からすれば驚きの数字でした。これをきっかけに、後日実際に来店してくださるお客様も少なくありませんでした。これは今後も月1回のペースでやっていきます。

ーーグッズも製作したとか…

お菓子の売上ダウンを少しでもカバーしようと思って始めました。第一弾は、店のキャラクター「ウミネッコー」をプリントしたトートバッグ。お客様にアンケートをとって、一番要望が多かったのがトートバッグだったんです。これは完売し、現在は第二弾のランチバッグを販売中です。


(トートバッグは焼き菓子などとセットでも販売)

「なんでそんなにアイデアが出てくるの?」。そう聞かれることがあるんですが、単純に人を楽しませるのが好きなんでしょうね。「また始まったな」とスタッフは半ば呆れているかもしれませんが。

でも、こういうことをしてなければ、今頃経営はもっときつかったはずです。愚直にいい商品をつくる。これが製造販売の仕事にとって一番大事なことだと思いますが、そこは信頼できるスタッフに任せて、僕はそれを管理しながら、お客様もスタッフも喜んでもらえる環境をつくっていく。これがコヤマ菓子店の方針なんです。

ーー売上についてはどうでしょう。5月以降は徐々に回復してきたんでしょうか?

ゴールデンウィークは予想以上に忙しかったですし、5月以降は徐々に回復し、赤字にならない程度に推移しています。7月の4連休、8月のお盆期間もおかげさまで賑わいました。

ただ、新店をオープンしたときにつくった事業計画は、大きく見直さざるを得なくなりました。

ーーどんな事業計画を立てていたんでしょうか?

最終的なゴールは、15年後に工場やカフェを併設した灯台の形をした大きな店舗を建てること。そこに日本全国、世界各国からお客様がやってきて、気仙沼の交流人口を増やすことです。

それまでまずは5年以内に看板商品の「はまぐりもなかくっきー」で販路を広げながら、宮城や東北を代表するようなお土産菓子を開発する。10年後には東京にも進出して、全国に認知されるようになる。そして、15年後に大型店舗をオープンさせようというプランでした。

ーーそれがコロナで難しくなってしまった、と。

ゴールは変わりませんが、プロセスを変える必要があります。

というのも、当初はお土産菓子を軸に据えて、駅や空港、道の駅などで販路を拡大する計画でした。ただ、コロナで状況が変わりました。外出や旅行が難しい中で、お土産菓子の店頭販売を中心にするのには限界があるでしょう。

鍵を握るのは、やはりECです。まずはネットでバンバン売れるような新しい商品を開発する。今ある商品もEC用にマイナーチェンジしていく。ECを軸にして、そこから駅や空港などにも販路を広げていく戦略にシフトしました。

まず手をつけたのが「楽天市場」。現在、販売ページを作成しているところです。自社のECサイトももっと買いやすいようにリニューアルする方向で動いています。

新しい生活様式にしっかり順応したお菓子をつくらないといけません。いい機会だと思って、これからEC販売を徹底させていきます。


(スタッフが考案した新作の「生どらバーガー」)

震災、コロナ…「地域に助けられたから、恩返ししたい」


ーー15年後、どうなっているか楽しみです。

これから気仙沼は、震災から10年となる来年3月に向けて注目されるようになります。4月からは気仙沼を舞台にしたNHKの朝ドラ「おかえりモネ」も始まります。

さらにその後、秋には震災10年の節目に市主催の大規模なイベントも計画しています。来年にかけてこの地域は、相当盛り上がっていくでしょう。

目の前はコロナ禍で大変ですが、その先に大きなチャンスが来てるんです。ECで売れる商品開発をはじめ、チャンスと注目をしっかり取り込めるような受け皿をつくることが非常に大事になってきます。

僕はこの土地に育てられました。だから、恩返ししたい。そのために店をやっていると言っても過言ではありません。

ーー原動力は地域愛なんですね。

震災で店も自宅も津波に流されました。店はテナントを借りて再開したものの、2013年に大黒柱の親父がガンで亡くなりました。その後はとにかく大変でした。レシピ通りにつくっても、どうしても同じ味にならない。スタッフも不安になって半数が辞めてしまいました。

そんなときに助けてくれたのが、地域の人たちでした。知り合いの菓子屋に相談すると、「親父さんには世話になったから」とつくり方を熱心に教えてくれ、「何かあったらすぐ相談してくれ」といつも励ましてくれました。

コヤマ菓子店は今年で133年目、僕は5代目の店主です。ずっと地域に根付いて商売を続けてきました。

親父が亡くなった後、味が変わってもいつも買いにきてくださるお客様がたくさんいました。今回のコロナ禍の中でも、変わらず足を運んでくださる方々がたくさんいます。コヤマ菓子店は、地域に生かされているんです。

だからこそ、15年後の夢に向かってできることは全部やる。そして、この地域をどんどん盛り上げていきたいですね。

文/近藤快

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